りすたと!

リスタートするための第一歩。

アメリカ文明は欠陥品である 「西部邁ゼミナール」

前回に引き続いて、評論家の伊藤貫さんがゲストの「西部邁ゼミナール」(2015.02.22)のタイトルは、「アメリカ文明は欠陥品である」。
挑発的なタイトルだけれど、よく言われることでもあるし、納得のいくタイトルでもある。


アメリカ文明は欠陥品である西部邁ゼミナール 2015年2月22日放送 - YouTube

アメリカ人が興味を示すのは、使えるか使えないか、役に立つか立たないかばかりだという。
それらはひとえに物質主義、功利主義、拝金主義と言える。
そして、それらは1945年に日本に入り込み、日本人は飛びついた。

ネオ・プロレタリアート映画『ファイト・クラブ』に描かれる、モノに囚われていた生活から脱却し、効率を求められる会社に悪態をつき、クレジットカード会社を爆破する主人公の姿が思い出される。
それは、アメリカ人が興味を示してきた物質主義、功利主義、拝金主義の隷属からの解放だ。

資本主義(capitalism)のcapとは帽子のこと。
西部先生は、それを「金を持ってるだけで人の上に立ち威張りくさり、社会のcapになる」と評していた。
話題のピケティが言う「資本」と「努力」ってヤツの、資本側。持つ者たち。

金を生み出すのは、新しいもの。
それゆえ、人々は新しいものに飛びついてきた。

振り返って日本。新しいものに飛びついた明治維新は本当に良かったのか。
維新」は「御一新(新しいもの)」として解釈された。
新しいものイコール良いもの、としてしまった。
そして、今に至る。

歴史が浅い国アメリカとは違い、日本はどうあるべきか。

私はそれでも、映画の礎を築いたアメリカ文化は好きだけどね。